平凡な日々

〜下克上等運動会・7〜




4位くらいの位置で日吉はバトンを受け取る。

日吉のことだすぐに前と追いついてくれるだろうと思ったけれど色別に選ばれるだけあって、

他の人たちも十分に速い。それでも私のところに来る頃には日吉は2位にまでなってくれていた。





「言っておくけど、私に勝てると思わないでね。私言ってなかったけど陸上部なの」





そう言って微笑む先輩。確かに速そうだ、と思いながらも私は負ける気がしなかった。

ふと名前を呼ばれたような気がしてそちらに視線をやれば、仁王さんと視線があった。




結構近い距離にいたせいか、仁王さんの言葉はしっかりと私の耳へと届いた。





「頑張りんしゃい」





その言葉を聞き届けた次の瞬間には後ろを振り返り、私は日吉が来るのを今か今かと待った。

バトンの受け渡しは一回もしていないけれど、伊達に2年間クラスが一緒なわけじゃないし、

同じツッコミ担当をしていたわけじゃない。苦労の数だけ、それを分かち合った私と日吉。



きっとバトンも上手くいく、という変な確信が私の中にあった。





その確信は、当たった。

綺麗に私の手の中へとバトンは収まる。





少し前をはしる先輩。

後ろから足音も聞こえてくるところを考えると、追いつかれ、追い抜かれることも考えないといけないかもしれない。



先輩の言ったとおり陸上部と自信ありげに言っていただけあって、速かった。



追いかけて、必死に手と足を動かしても

追いつけないんじゃないかという思いが私の頭を一瞬過ぎった。






、絶対にぬかしてみせなさい!」





りりんの声が私の耳に届く。

その必死なような声は普段では考えられない声で、彼女が本気で私を応援してくれているんだということが良く分かった。

もちろんりりんだけではなくクラスメイトの声も耳に届く。






負けられない。

追い抜かしてみせる。



少しだけ弱気になっていた気持ちに活をいれるには十分だった。









何ももたない私はいつも追いかける側だった。

だけど、いつしか逃げる側にかわった。



追いかける側だった時は、私が追っていたのは追いかけられる側の人間で、決して逃げる側の人間ではなかった。

そのはずなのに、私は逃げる側にかわり、追いかける人なんて一人もいないのに、

私はいつも何かから逃げていた。




人とのかかわり、もその一つかもしれない。

逃げて逃げて、その先には何もないことを知りながら私は逃げ続けていた。




そんな私が今は必死に目の前の人物を追っている。追い抜かそうと必死になっている。




、頑張れ!」


ちゃん!」




たくさんの歓声のなか、私の耳にはいってくるのは私を呼ぶ声だけ。

そのほかの音は私に耳にははいってこない。




その声に後押しされて、私は必死になって目の前の人間を追いかけた。










気分が高揚する。

久しぶりの追いかける気持ちは、何とも言い知れぬ気持ちだった。



忘れていた気持ち。追いかけて、その先に見えるもの。



追い抜いた先には、私がずっと追いかけていたものがあるはず。

でも私はいつしか追いかけるのを辞めて、逃げるだけしかしなくなった。


追いかけることを無駄だと考えるようになった。

私には追いつけるわけがないと考えるようになった。






でも、何故か今はそう思わない。

私にだって追いつけるはずだと、追い抜いた先をみることができると、そう思えた。





、いっけぇぇぇ!!」




もう呼吸だって乱れているし、これ以上は速く走れないと思っているのに

私の名前を呼ぶ声が聞こえてきただけで、先輩との距離が縮んだ気がした。





少しずつ近くなる距離、私でもいける、と思ったときには先輩を追い抜かし、私の前からは誰一人としていなくなった。





初めて、追いかけられる側に、私はなった。

ただそれだけのことなのに、何かがこみ上げるものを感じた。

私もこんな風に誰かを追い抜かすことができたんだ。




あの時諦めてしまったけど、でも、本当は諦めなくても良かったのかもしれない。





諦めない先には確かに私の欲しいものがあった。





!」





宍戸先輩へとバトンを渡す。ここでも一回もバトンパスをしたことがなかったのに、かなりの上出来だった。

やっぱり苦労の数だけ、それを分かち合ったおかげだろうか。




気分が高揚したまま、私も声のかぎり宍戸先輩を応援した。

先ほどの先輩がバトンを渡したのはどうやら跡部部長らしい。

二人とも、さすがと思えるようなフォームの綺麗さでそれに比例するように確かに速かった。






このときの私には既に跡部部長に下克上すると言う目的のことなんて頭のなかになかった。

ただ宍戸先輩の名前を呼んで応援だけはしていた。
































、よくやったな!」




そういうと宍戸先輩は私の頭をガシガシと撫でた。

この人の頭の中には私が女、とか、これでも一応髪の毛整えてるんだけどっていうのは頭にないらしい。


なんて、失礼な話だ。

私はこれでも一応女だし、髪の毛が崩れるのを気にはするというのに。





そんな私の気持ちなんてそっちのけで、鉢巻がとれて下がってきているのにそれでもガシガシと私の頭を撫でている。

これ、多分宍戸先輩じゃなかったら私怒ってるはず。





まぁ、でもこんな笑顔で嬉しそうにしている宍戸先輩を怒るなんてこと私にできるはずはなく

宍戸先輩が満足いくまで私は頭を撫でさせていた。



走り終わってすぐにこちらにやってきた宍戸先輩は

今の今まで全力疾走していたはずなのにそんなそぶりも見せずにただ額を流れた汗をぬぐった。





(爽やかすぎる…)




私は私でまだ息は乱れていて、ハァと深く息を吐いた。

走り終わったあとは脱力感から直ぐその場にへたりこんでしまった。




もちろん邪魔になるのはわかっているから、レーンの内側に座り込んだのだけど。






「ふん、下克上だな」


「……忘れてた」





日吉の言葉にそう言えば、跡部部長を下克上していたことを思い出した。

さっきまではあの自称陸上部の先輩のことばかりだったから忘れていたけれど、私達はちゃんと目的を果たすことができた。





それもこれも宍戸先輩が一位でゴールテープを切ってくれたからだろう。

本当に少しの差だったけれど、私達が一位でゴールしたことに代わりはない。





今までのどの競技よりも一際大きな声援が沸いた瞬間だった。






「あの跡部を負かせるなんて思ってなかったぜ。若、お疲れだったな」


「別に。他の奴らが思ったより遅かったんですよ」





それに、とそこでいったん言葉をきり日吉がこちらを見た。

その視線の意味がわからずに、思わず首をかしげれば、日吉はフッと笑みをうかべ

のおかげです」と、言った。





「えっ?!いやいやいや、そんなことないから!」


「……いや、それもそうだな。、お前のおかげだ」


「ちょっと、宍戸先輩まで何言ってるんですか!おだてたって、何もでませんよ?!」





「何もお前からもらおうなんて思ってねぇよ」

「ったく、お前は素直に喜べないのか」






素直なんて言葉日吉の口からは聞きたくない。

その言葉。私からしたらそっくりそのままお返ししたいくらいだよ。

日吉だって褒められたって素直に喜べないで、嫌味の一つをお返しにいっちゃうくせに。





「うんうん、ちゃんのおかげやな」



「「「……」」」




新たな人物の出現に一斉に三人の視線が忍足先輩にあつまる。



思わず私がうわぁ、と顔をしかめると忍足先輩は怒ることもいつものように泣くまねもせずに

苦笑をうかべて「酷いわぁ」と言い、宍戸先輩の手が離れた私の頭を数回ぽんっと叩いた。




叩いたといってもそれほど衝撃があったわけじゃない。

それにその時の忍足先輩からはいつものような邪念は感じられなかったから私はその手を払いのけることはしなかった。





「本当、良い走りやったでちゃん」

「ありがとうございます……」





「ほら、三人ともまだ競技は終わったわけじゃないで?

帰るまでが遠足みたいに、退場するまでが色別リレーや。ちゃんと並び」





忍足先輩に言われ私達は周りを見渡した。

そのときになってようやく、まだ競技が終わってないことに気づき私達は静かに忍足先輩に言われたとおり並んびなおした。

忍足先輩の手が私から離れる瞬間、忍足先輩はゆっくりと微笑んだ





忍足先輩とは思えないくらいの優しい、そして儚い笑みだった。








「なんか吹っ切れたみたいやな」






その言葉に、ドキッと胸が高鳴る。

この人ただの変態だと今までずっと思っていたけれど、やっぱり氷帝の天才なのかもしれない。

人の心をよく分かっている。

ちょっとした私の気の代わり様に気づいたからこそ、こんな風にいったんだろう。







確かに忍足先輩から言われたとおり私は何かふっきれた気分だった。






多くのものから逃げていた自分から再び、私は追いかける側の人間に戻れたような気がしていたのだ。


忍足先輩もさすがにそんなことまで分かっているわけではないだろうけど、

でも私が何かから吹っ切れたことは分かったんだろう。




氷帝の天才の名は伊達じゃないらしい












退場するとすぐに始まる閉会式。

しかし、そんな短い時間の間に私はクラスメイトに囲まれていた。

りりんからは「よくやったわ!」と宍戸先輩と同じ言葉をかけられ他の子たちも色々言葉をかけてくれる。




こんな風にたくさんの人から囲まれるなんてあの時からは考えられなかった。

恥ずかしい。でもそれ以上に、うれしくもあった。





そして気がつけば目の前には担任がいて、親指を立てながら笑顔をうかべていた。






「俺はお前を信じていたぞぉ、!!」



「うざいです、先生」




即答で返せば、担任はすぐ傍にいた学級委員長のほうを向く。

委員長はその視線にうわー、と呟きながらそれでも担任から視線を外すことはできなかったみたいだ。




「……ねぇ、ちょ、学級委員長。俺可哀相じゃない?」

「僕の名前を覚えてから悲観ぶってください」




「いや、さすがに覚えてるから。覚えてなくて担任なんてやってられないから」






その言葉にクラス全員の視線が担任に集まる。

どうやらみんな、担任が生徒の名前を覚えてないと思ったらしい。




まぁ、この先生。私のことはちゃんと苗字で呼んでいるけど色々あだ名をつけることで有名だし、

仕方がないと言ったら仕方がないだろう。




だけど、ここまで生徒から信頼のない先生も始めてみたような気がする。





「何やってるんだ、このクラスの連中は」





ボソッと呟かれた日吉の言葉に頷いて同意しながら、閉会式の準備にとりかかった。

準備とは言ってもならぶだけだから、そこまで時間もかからずに閉会式が始まる。

もう立海や青学の人たちの姿は見えないから、帰ったのかもしれない。




良かった、と安堵の息を吐きながら何故かまた壇上に上がっている跡部部長を一瞥し、

頭が痛くなるのを感じた。





(なんでまたあの人が上にたって、マイクを持っているんだよ……)




開会式の挨拶は跡部部長がしたんだから、閉会式は普通体育委員長じゃないだろうか。



しかし相手は跡部部長。


そんな常識も通じるわけもないし、もしかしたらこの学校には体育委員長はいないのかもしれない、

私はそれ以上そのことについて考えることはなかった。






 







(2008・11・24)

ちょっと真面目な文を書きたかったんですか、失敗に終わったようです…!