大将、と呼ばれていた人の背中を呆然と見送れば、いつの間にか隣に立っていた人がこちらを見て微笑んだ。天井から落ちて、いや、降りてきたりして一体何者なんだこの人、と思って怪訝そうに見ていれば「俺様、猿飛佐助」と言いながら、怪しい者じゃないから、と言った。
どこが怪しい者じゃないんだ。
まず一人称が、俺様の時点で怪しい奴決定なんですけど。と咄嗟に言いたくなったりしたけどさすがに言うわけにはいかずに「えっと、です」と言っていた。
それに、むしろ相手にしたらよっぽど私のほうが怪しい奴だと思われているのかもしれない。
で、でもなー、俺様はナシだと思うんだけど。だって、俺様って、さ。まぁ、だけどそれが許される容姿をしている
そんな事を思いながらも私はずっと疑問に思っていたことを聞いた。
「ここは、一体、何処なんでしょうか?」
「ここ?ここは甲斐の、大将の城だけど」
い や い や 、 ち ょ っ と 待 て 待 て
甲斐って、甲斐って、何処だよ!それも、武田信玄の城ってどういうこと?私がいたのは日本で、普通の学校で、何だ、この展開。
本当に訳が分からない。そんな私の様子を見ていた猿飛さんは「記憶喪失なんだから、分からなくてしょうがない」なんて言いながら、私を励ます仕草を見せる。
違う!そうじゃない!私が言いたいのはそんなことじゃない!と本当は叫びだしたいのは山々ではあるけれど、私は何も言うことができずにただただうな垂れた。記憶喪失なんてものなんじゃない、私は。
本当は記憶があるんだ。日本に生まれて、日本で育った、記憶が。
もしかしなくても、私はどっきりにかかったわけでもなく、夢を見ているわけでもなく、違う異世界、と言うものにきてしまったんだろうか。
「(そんな、異世界だなんて)」
現実主義の私にとってはとてもじゃないけど、そんなもの認めるわけにはいかない。
確かに目の前の猿飛さんも見事なコスプレ姿を披露してはいてくれているし、さっきの武田信玄って名前も日本史の中で聞いたことある。まさか、まさか、と思いながら猿飛さんの話に耳をかたむけていけば、戦国乱世やら、物騒な言葉も聞こえてくる。極めつけは「織田信長」と言う名前。
イチゴパンツの織田信長と覚えた年号が今じゃとても懐かしい。
……いやいや、そうじゃなくて、確かにそんな風に覚えたけどちょっと待て待て。
じゃあ、なんだ、私がいるのは1582年くらいの日本だというのか?いや、だけど、あきらかに目の前の人はコスプレにしか見えないし、昔の人があんな派手な真っ赤な衣装を身につけていたことなんて聞いたことがない。
じゃあ、ここはどこ?覚えのある名前。でも、あきらかに色々可笑しすぎる。
やっぱり、私が来たのは過去ではなく異世界、なのか?だけど、どうして私はここにきてしまったの?
ノートを運んで、階段から落ちただけなのに。
認めることのできない事実に私は頭を抱え込んだ。ありえるわけが無いと思いつつも頭の片隅ではこの現実を認めている自分がいる。異世界なんてもの、信じているわけでもない。だけど、目の前の現実が私にその存在を主張している。
「大丈夫、ちゃん?」
「は、い……(あんまり大丈夫じゃない!)」
「まだ疲れてるんだろ。俺様、旦那に知らせてくれるから部屋で大人しく待っててくれよ」
そう言って、シュッと音をたてて猿飛さんは私の目の前から消えた。
「えぇぇぇ、いやいや、ちょって…消え、た、って、えぇぇぇ!!」
またもや意識をとばしそうになってしまったのはさておき、私はかるく現在の状況をおさらいすることにする。
ノートを持ったまま階段から落ちた。そして、訳も分からないままいつの間にか森にいた。そして、真田さんと一緒に男達をぶっ飛ばした。気づいた時にはここにいた。ここは、甲斐という場所で、今は戦国時代だという……あれー、1分もかからなかったよ。
なんだか自分が思ってたよりも早く現状理解できちゃったよ!
「いや、これ本当に現実?」
ここにきて何度もつねった頬をもう一度、願いをこめるかのようにつねるが、そこには確かに痛みが広がる。認めたくない現実。それを認めなければならない時がきたのかもしれない。
ここは私がいた日本ではない。そして、過去、と言うわけでもない。
「殿ぉぉぉぉぉ!!」
「(……なんか名前を呼ばれたような)」
遠くから聞こえて来た声に耳をすましていれば、どたどたと言う足音がどこからともなく聞こえてくる。それをどうじに私の名を呼ぶ声も段々と大きくなってきているような気がしないこともないような。
いや、多分勘違いだよ。そうだよ、こんな大声で人の名前呼ぶなんてありえないし、認めたくないもん。
「殿ぉぉぉぉ」
どうやら現実らしいね!!バタンッとふすまが思いっきり開かれ、私は目を見開いてその赤を見る。じゃあ、もしもここが異世界というものならこれはコスプレなんかじゃないってこと?
そう思いながら思いっきりふすまをあけた真田さんを見れば、真田さんはいきなりしゃがみこんで、頭を床へとたたきつけた。
え?
何してるの、この人?
「ちょ、ちょっとぉぉ、何してるんですかぁぁ?!」
ガツン、と大きな音が響く。マジでこの人は一体何をしているんだろうか。いきなり現れて自ら頭を床に叩きつける(まともな人だと思ってたのに……!)おろおろとその様子を見やっていれば、真田さんの後ろにまた突拍子もなく猿飛さんが現れた。
この人の特技はどうやらいきなり現れたりいきなり消えたりすることらしい
「旦那?!何しちゃってんの?!」と私の思っていたことを口にする。……凄い特技を持っている割には、猿飛さんはまともな人に、分類しても良い人のようだ。俺様だけど。
猿飛さんに止められて、頭をあげた真田さんはこちらを見ると眉を下げてまるで捨てられた子犬のような顔をしていた。
可愛い、と思わず思ってしまいそうになるその表情に、私の心は打たれた気がした。
「(な、な、何事?!)」
「……すまなかったでござる」
「え、はい、な、何がですか?!」
「ちゃん、動揺しすぎ。ほら、旦那もそれだけじゃ分からないだろ。まったく、」
猿飛さんのその言葉に真田さんは「殿!」と私の名前を再び叫ぶ。お願いだからそんな大声で私の名前を叫ぶな、と思いながら思わず「はい!」と返事を返していた。
「某が一緒にいたにもかかわらず、お、お、女子の顔に傷をつけてしまうとは、」
「(女子って!)あ、いや、それは、気にしないで下さ「そういうわけにはいかぬ!」」
「いやいや、旦那。許しがでたんだからそれに甘えなよ」
そうですよ、猿飛さんの言うとおりですよ!それに悪いのは真田さんではなくあの男達なのだから、気にする必要もないのに。
そうは思っても真田さんはなにやらぶつぶつと呟きながらこちらの言葉には耳を貸そうとしない。
どうしたものかと思ってそんな真田さんの様子を見ていれば、「ぬぉぉぉ、ぅお親方さばぁぁぁ!この幸村を叱ってくだされぇぇぇ!!」と言いながら立ち上がると急に走ってどこかへと行ってしまった。
「……」
開いた口も閉じられないと言うのはまさにこの状態じゃないだろうか。そんな私を見て猿飛さんは、「ごめんね、ちゃん」と申し訳なさそうに困ったように笑いながら言った。
その姿に、私は子供の世話をしている親の姿を見たような気がした。大変なんですね、猿飛さん。
哀れみの目で見てしまうのは、そんなことを思ってしまったからだろう。
哀愁漂う猿飛さんの表情に、なんとなく真田さんにいつも苦労しているんだろうな、というのは容易に推測できた。「アハー……」と笑う猿飛さんの笑顔がどことなく、切なくも感じる。
「さて、大将の用事も終わったことだと思うし、行こうか」
「行く、ってどこにですか?」
「大将と、旦那のとこ」
もしかして、大将というのは真田いわくの親方さば……失敬、親方様のことなんだろうか(旦那イコール真田さんみたいだし)
「もしかしたら、凄く驚く状況が広がってるかもしれないけど、気にしないでね」と言われ私は首をかしげた。もう凄く驚く状況におかれているから、それ以上に驚く状況なんてちょっとやそっとじゃないだろう。そう思っていれば遠いところで「幸村ぁぁぁ!」「親方さまぁぁぁ!」と声が聞こえて来た。
その声に思わず、私は猿飛さんをみあげる。
「……その、行かないと駄目ですかね?」
「気持ちは分かるよ」
気持ちは分かるとは言ってくれたにも関わらず猿飛さんは「ほら、行こう」と言って歩き出す。あれ、私の気持ちなんて一切無視ですか?だけど、なんだか疲れきった猿飛さんの背中を見るとこれ以上煩わせるのは悪いと思ってしまい、私は静かにその背中についていった。長い廊下なのに、ぴかぴかに磨かれている。
その上、途中すれ違う人は猿飛さんの顔を見て、頭を下げていっていた。
そのどの人もが着物を着ていて、やっぱり私は自分と住んでいたところと別の場所に来てしまったんだ、と言うことをなんとなく感じていた。しかし、そんな私の思考など一切無視して親方様と言われる人と、真田さんの声は響き渡っていた。
「ぅぉおおおおやかたさぶぁぁぁぁ!」
「幸村ぁぁぁ!」
真田さんにいたってはもう何て言ってるかさえ分からないよ!猿飛さんの後ろを歩きながら、私は今自分が向かっている場所への不安を募らせ、できることなら早く帰りたいと、柄にもなく願った。
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(2009・04・01)
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