日吉の家の方の窓のカーテンは私が学校にいる間しか開かれない
このカーテンが開かれる日なんてもう一生訪れない―――――――――
あせない想い.2
あの日から私と日吉は話していない
もとから私と日吉との接点なんて家が近いことだけで会わないようにすることは簡単なことだった
それに学校では日吉のクラスやテニスコートに近付かないように出来る限りの努力をした
友達から何度もテニス部の応援に誘われたこともあったが、それもすべて断った
友達には悪い気がしたが、それ以上に私は無意識のうちに日吉を探してしまいそうな自分が嫌だった
一年の間は教室が離れていたおかげで日吉を見かけることはなかった
全校集会なんかで集まったときも、日吉を見つけてしまわないようにいつも下を向いていた
そのときの私は、日吉を見てしまったら泣きだしてしまうんじゃないかってくらい弱くなっていたと思う
それも一年が終わる頃にはだいぶ落ち着いていた。クラスの女子が日吉の話をしていても、胸が痛くなるけどそれを表に出すようなことはなかった
いつの間にか私は悲しくて、胸が痛んでいても笑えるようになったらしい
2年になって日吉と隣のクラスになった時は神様に見放されたと思った。それだけじゃない
私と同じクラスにはテニス部のマネージャーもいた
日吉はほとんどの女子と話していなかったらしいけど、そのテニス部のマネージャーとは良く話をしていたらしい。
らしいって言うのは実際私が見たわけではなく友達から聞いた情報だから。
別に日吉と誰が仲良くしようとも私には関係ない。それでも、
私以外の人の隣でたまにしか見せない笑顔で笑っているかと思ったら、
どうしようもなく心が痛んでしまうのはまだ日吉のことを好きでいる証拠なのだろうか?
テニス部のマネージャーの子は手鷲雪乃と言って本当に性格のよい子で、女子の中で唯一日吉のことを名前で呼んでいた。
名前で呼ぶことを許されているのは日吉にとって特別な女の子だからなんだろうってなんとなく分かった。そして、
手鷲さんが日吉の名前を呼ぶたびに私は日吉の特別にはなれなかったんだと改めて思い知った
いや、特別どころか嫌われているなんてどうしようもない人間だなって自分自身思った。
だけどあの頃の私は日吉の名前を呼ぶだけで幸せな気分になって、ずっとこの幸せが続くなんて思っていた馬鹿だったから
日吉に嫌われているなんて思いもしなかったし、
思いたくなかったんだ。
今の私はあの頃より日吉に好かれていれば良いと毎日思う
そんな事願っても叶うはずはないのだけど、それでも願わずにはいられない
特別じゃなくて良い、だから――――――
嫌 い に な ら な い で
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(2007・04・02)