スパナさんの部屋に行く途中に書類を持ったレオくんとあった。レオくんはいつものレオくんで、そこからは骸さんは感じられなかった。軽くいつものような会話をしてその場を離れようとしたら「さん」と声をかけられ、私の足は止まる。

声が、違う。

いやレオくんの声に変わりはなかったのだけど、威圧感が違った。後ろを振り返るのが恐いと、自然とそう思う。後ろにいるのはレオくんで、骸さんではない。
そう自分に言い聞かせ、私はゆっくりと振り返った。



そこには、笑顔を浮かべるレオくんが立っていた。



そのことに私はホッと息を吐く。良かった、なんて思っては骸さんに失礼だとは思ったけれど、私はもう骸さんには会いたくなかった。これ以上、私の覚悟を揺るがされるようなことはされたくはなかった。


レオくんは私が振り返ると、「今日は雨が降ってるそうですよ」と言った。窓のない施設で、気にすることはなかった外の天気。レオくんが天気の話題を出すのもこれが初めてだった。私はその言葉に何と返して良いか分からず「そうなんだ」ということしかできない。

どうせ、外の天気がどうであろうと私には関係ない。ここから出る事なんて叶わない私にとって外の天気なんて気にするものじゃなかった。天気が良いから外でお茶をするなんてことも、外で昼寝することもここではできない。




「はい……少々、荒れそうです」




レオくんの浮かべた笑顔が、私には骸さんの笑顔とかぶった。優しい笑顔ではなく、私にはしばらくの間むけられることのなかった笑顔。狂気気味た瞳が細められ、口端が僅かにあがり、いつもその笑みはマフィアに向けられていたその笑顔が、今私に向けられている。

ゾクリ、と背中に冷たいものを感じ、私は震えそうになる体に力を入れた。



さんも、気をつけてくださいね。では、僕は仕事があるので戻ります」

「……うん。レオくんも、仕事頑張ってね」



踵を返して歩き出すレオくんの背中を見送る。一体、今日何が起こるんだろうか。今日は昨日と同じ今日ではなかったの?と痛くなる頭で考える。そして、先ほどから警報が頭で鳴り響いているような気がして私は体を壁に預けた。
雨が降るからと言って施設内にいる私が気をつける必要なんてない。荒れると言っても、このミルフィオーレの施設を脅かすことなんて絶対にありえるはずもない。じゃあ、レオくんは、いや骸さんは何が言いたかったんだろう。何を気をつけろ、と私に言うんだろうか。


謎の多すぎる言葉に、私は答えを見出すことはできなかった。









スパナさんの部屋からは、何も音はしなかった。ただ静寂だけがその場をつつみ、私とスパナさんだけの呼吸する音だけが聞こえていた。それでも、その空間はとても心地よく先ほど動転した私の気持ちを落ち着かせるのには良い効果をもたらしていた。雨の音も、ここには届かなかった。



「ほら、茶」


「ありがとうございます」



スパナさんに淹れてもらったお茶はさらに私の気持ちを落ち着かせてくれ、あの日と同じ味のお茶はとても美味しかった。

私は静かにお茶を机の上に置き、視線をあげスパナさんの目を見た。彼の目は本当に彼はミルフィオーレの人間なのだろうか、と思うくらい暖かい瞳をしている。そう思うと同時に、今自分はどんな瞳をしているんだろうと思った。入江くんの言う今の私と初めて会ったときの私が違うと言うのなら、もしかしたら瞳にも違いがでているのかもしれない。


彼の会いたかった私とは一体どんな人間なんだろう。


一日考えても、その答えはでなかった。たくさんの疑問が私の胸中を埋め尽くすくせに、その答えは一つとしてでてはくれない。だから、疑問はいくら経っても減ることはなく、ただ増えていくだけだった。




スパナさんはゆのみをおくと、私と視線を合わせた。その瞳が僅かに細くなり、私を見定めるかのようにその暖かい瞳は私を映していた。そして唐突にスパナさんは口を開いた。


アンタ、ボンゴレの人間だろ」


その言葉に僅かに私の肩がゆれる。まさかスパナさんからこんなこと言われるとは思わなかった。知らないと思っていたわけじゃないけれど、今日もこの前のように日本のことに聞かれると思っていたから、まさか私のことを聞かれるとは思わなかった。一呼吸おいて、私は笑顔をつくった。



「……違います。私はボンゴレの人間だったんですよ」



そう、もうボンゴレだったのは過去のことだ。私は今ミルフィオーレの人間なのだから。



「そうなのか?」

「そうですよ。じゃないと、私はここにいませんよ」



笑いながら言えば、スパナさんが眉を寄せたのがわかった。私はそのことを不思議に思いながらも、再びゆのみをもち口元へと運ぶ。「アンタは、」と言われ私は湯飲みを口元に寄せたまま、スパナさんに視線をやった。スパナさんはこちらをまっすぐに見ていて、私は居心地の悪さを感じた。これから言われることは、多分私にとっては良くないことだろう。

なんとなくだけど、そう感じ私はスパナさんの言葉を遮ろうと口を開いた。しかし、それよりも早くスパナさんは言った。



「アンタにはここは似合わない」



言わせなければ良かった。そうは思っても、私の耳はスパナさんのその言葉をしっかりと聞いていて、その言葉は私の胸の奥にまで入り込んでいた。


私にはここは似合わない


別に似合いたいだなんて思ってはいない。それに私はこの場所が自分に似合ってなかったとしてもこの場所から離れることはできないんだ。
だから、この言葉を聞いてどうしたら良いかなんて分からない。スパナさんが何を言いたいかなんて、私には分からなかった。



だけど、私もここは私には似合わない、と思う。私が私でいられない場所。そんな場所が私に似合うわけがなかった。白蘭が似合うと言った白い隊服だって、似合わないし、この施設も私には似合わない。

ただ、私に似合っているのは。このダリアの髪飾りだけだろう。
裏切り、と言う花言葉を持つダリアの髪飾りは私に似合わないもので溢れるここで唯一、私に似合うものだった。


でも、一番似合いたくないものでもあった。



「アンタがここにいる理由をウチは知らない」



私がここにいる理由。スパナさんがそれを知らないのは当たり前のことだ。それを知っているのはきっと、ここでは白蘭と入江くんぐらいなのだから。
ここにいる他の人にとって私なんて興味の対象なんかではなく、どうでも良いに違いないから。私がどうしてここにいるかなんて知ろうとも思わないだろう。


「ウチはアンタと茶を飲むのは好きだけど、アンタはここにいないほうが良い」


一体、私の何が分かると言うんだ、と言ってしまいたかった。スパナさんは悪くないと分かっている。ただ、自分の思ったことを言っただけ。それでも、私はこの言葉に腹が立った。



私だっていたくて、この場所にいるわけじゃない。

私だって、本当はボンゴレに、皆のところに帰りたい。



だけど、私にはそんなこと許されないんでしょう?そんなこと願うことも、きっと私には許されないんでしょう?
なら、私はここにいるしかない。私はもう、あの場所を棄てたんだから。そして、私は白蘭の手をとった。ボンゴレとしてではなく、ミルフィオーレとして生きていくことを決めたんだ。


その瞬間から、誰がどう言おうと私の場所はこの世界からなくなったんだ。
戻れるものなら戻りたい。皆に、私の大好きな人たちにあいたい。


会いたくて、たまらなくて。


もうみんなに会えないのなら、こんな世界棄ててしまっても良いと思えるくらい私はみんなのことが大切で、そしてそれと同時に、その大切な人たちを守りたかった。



骸さんの言うとおり、それを彼らが望んだのかは私には分からない。だけど、私には彼らを守れたんだ、と言う気持ちが少なからずあって、嬉しかった。



本当は入江くんの言った言葉の意味も分かっていた。今の私と、以前の私の違い。分かっていたけれど、認めたくなかった。
入江くんの会いたいと言ってくれた私は、もう私が棄ててしまった自分だったから。



、アンタはどうしたいんだ?」



私に優しく問いかけるスパナさんの言葉に、私は俯いた。そして一粒の涙が、床へと落ちた。


「戻りたい、戻れることなら戻って、みんなに会いたい」


そして、今スパナさんとしているようにお茶をみんなと飲んで、会話をして、それで、それで、



笑いあいたい



私が好きなのは彼らの笑顔だから。それを、今一番みたい。他の誰でもなく、自分に向けられる笑顔を、私は見たい。溢れてくる涙は、ポタポタと床へと落ちていく。


ツナに会った時も、骸さんが部屋の前まで来てくれた時も、私はすがりつきたかった。その場所に戻りたい、と泣きつきたかった。でも、それはできなかった。
白蘭の存在が、恐くて、それ以上に、裏切ってしまった私への皆からの反応が恐かった。



戻りたい。だけど、戻れない。



「ウチはアンタの好きなようにすれば良いと思う。ウチは、ボンゴレのアンタにも会ってみたい」


スパナさんの言葉が私の胸の中の重みを軽くしてくれたような気がした。それだけが、今は救いだった。だけど、私がここにいなければ、白蘭がボンゴレに何をするか分からない。あの時の白蘭の狂気気味た瞳は思い出すだけで、ゾッとする。


約束を守らなければいけない。


私はそう思い、スパナさんの言葉に首を振った。「でも、私は彼らを守りたいんです」と、言えばスパナさんはなんともいえない表情を浮かべた。私のこの気持ちを分かってもらおうとは思っていなかった。ただの自己満足といわれれば、それに違いないのだから。

そして、私が持っていた湯飲みを机の置いた瞬間に、爆音が私達の耳に届いた。




会いたい









(2008・08・21)