いつの間にか眠ってしまっていたらしい。目を開けると、私は自分の部屋の床に転がっていた。皺のついた隊服に眉を寄せる。少しだけ目が痛いのは寝る前に泣いてしまったからだろうか。今、何時なのかも分からない。とりあえず、白蘭からは次の日に休みをもらっていたから、大丈夫だろうと思い、再び私は体を横にした。
冷たい床が今は心地よく、私は天井を見上げながら、一息ついた。
電気のついていない部屋はとても暗い。私が与えられたこの部屋には窓一つない部屋。外を見ることも叶わないその部屋は私にとって、まるで牢獄だったのかもしれない。

いや、この施設自体が私にとっても牢獄。


「(あぁ、だけどスパナさんの部屋だけは)」


彼の部屋だけは暖かかった。まるでボンゴレにいた時のような気持ちにしてくれるその部屋が私はとても好きだ。重たい体を起こして、また来ても良いと言ってくれたスパナさんを思い出す。今、何時だっけ。もしも、邪魔にならない時間なら彼の部屋に行こう。そう思い立ち上がり時計を確認する。もう夜と言っても良い時間だけど、きっと大丈夫だろう。
そう思いながら、私はそのまま部屋を出て行こうとドアの前に立った。その瞬間にコンコン、とドアをノックする音が目の前から聞こえて来た。思っても見なかった音に、私の肩は跳ねる。一体、誰が。この部屋に来る人なんて今までいなかったのに。


白蘭だったらどうしよう、と言う思いが一瞬頭をよぎるが、聞こえて来た声に私は安堵の息を吐いた。



さん、」


あぁ、レオくんか。レオくんなら別に大丈夫だ。今のこの不安定な気持ちも、彼相手ならもっと取り乱すことなんてないだろう。
だけど、さすがに涙ではらしたであろう瞳を見られたくなくて私はドアをあけずに「どうかした?」と声をかけた。少しの間をおいて、レオくんは「貴方はここにいて幸せですか?」と聞いてきた。


ここにいて幸せ?

そんなことあるはずがない。私の幸せはボンゴレにあるのだから。


だけど、私がここにいて彼らが傷つかないと言うのなら、私の幸せはここにあるのかもしれない。レオくんの質問を何回も反芻しながら自分の中にとけこませていく。出てくる答えは一つじゃなくて、本心や、建前、色々な思考が交錯していく。


しかし、私は残念ながら彼らの幸せが自分の幸せだと言えるような人間じゃなかった。
私はそこまでできた人間ではない。ただの、ただの小娘と言われるような普通の人間なんだ。


本当なら彼らが幸せなら、ここにいても私は幸せなのだと思うべきなんだろう。でも、彼らの幸せを望んでいるにも関わらず、私の幸せはここにはなかった。私がここにいることで、彼らは幸せだと思っているのに、私がいないのに幸せだと思って欲しくないと思う自分もいる。

矛盾しすぎたこの思い。

性格が悪いにも程があるんじゃないか、と思いながら私はドアに手をついて自嘲じみた笑みを浮かべた。



私の幸せは彼らの傍にいること。ここにいても私は幸せだとは思えない。



でも、自分が幸せではなくても、彼らが幸せなら良い、とは思える。彼らの幸せを守る為なら、自分が幸せでなくても良い。

自分がいなくても彼らの幸せが成り立つのは寂しいけれど、その分彼らは今まで私を守ってくれてたんだ。私を守るのと同時に私の幸せも守ってくれた。
いつも傍にいて、優しくしてくれて、微笑んでくれて、慰めてくれた彼ら。そんな彼らに、何かお返しをしなくてはいけないんだ、私は。


「私は幸せだよ、レオくん」


どんなに良い子であっても、レオナルド・リッピと言う男は白蘭の部下に違いはなかった。だからこそ、私の本音を話すわけには行かない。彼もまた、忠実な彼の伝達係であり、もしかしたらこの部屋に来たのも白蘭の指示か何かあってのことかもしれない。
ここにいるのは、今は仲間と呼ぶべき者達だけど、私は彼らを仲間だと思ったことはない。

私の仲間は、あの人たちだけだから。暖かい笑顔を私に向けてくれたあの人たちだけ。



「嘘でしょう」



ゾクリ、と背中をつめたいものが走った気がした。


これは一体誰?レオくんではない。彼の言葉で紡がれた彼の言葉は、今までの彼からは信じられないほど冷たいものだった。ドア一枚を挟んでいるにも関わらず、私は後ろに足を一歩踏み出した。

怖くはない。だけど、嫌な予感がする。

これ以上、彼と話したら、きっと私は本音を話してしまう。本音を聞かれるなんて絶対に、駄目だ。私の本音を知るのは私だけで良い。私一人が抱え込むべき思いなのだ。だから、誰にも知られたくはない。白蘭だけには知られているかもしれないけれど、他の誰にも、特にボンゴレのみんなには知られたくはない。


私がここにいる理由。
そして私の本音。


知られてしまっては、私はここにいる意味を失ってしまうかもしれない。



「だ、れ?」

「おや、誰とは失礼ですね。仮にも貴女が仲間だと言った人に向かって」


口調。雰囲気。すぐに、私はドア一枚を挟んで向こうにいる人物がレオくんではなく、あの人だと言うことに気づいた。


「骸さん、なんでここに」

「クフフ、やっと気づいてくれましたか。このまま気づいてくれなかったらどうしようかと思いましたよ」

「なんで……なんで、ここに貴方がいるんですか!」


気づけば怒鳴り声になっていた。だけど、どうしてここに骸さんがいるんだ。もしかしなくても、レオくんは、彼のスパイだったの?そう思うと、声にならない声がでて、私はこの先の言葉を紡ぐことができなくなっていた。足に力もはいらずに、私はその場に崩れ落ちるかのように、座り込んだ。


「それは、僕の台詞ですよ。どうして、君がここにいるんですか」

「そんなの私の勝手、でしょう」

「それなら、僕がここにいるのも"僕の勝手"でしょう」


私がここにいるのには確かな理由があった。しかし、ミルフィオーレと停戦になった今骸さんがここにいる理由なんてないはず。もう争いはおこらないのだから、スパイなんて必要もない。そう思って口を開こうと思っても、私は何も言えなかった。
じゃあ、ここに私がいる理由を聞かれたら私は何と応えれば良いんだ。ボンゴレよりもここの方が良かったからこちらを選んだ、と嘘でも言わなくてもならないんだろうか。







少しだけ優しく彼が私の名前を紡ぐ。


「君は本当はボンゴレに、」


「言わないで!…それ以上は、言わないで下さい!」


骸さんの言葉を遮るように言う。それ以上は聞きたくなかった。ドアの向こうからため息をつくのが聞こえて来た。「馬鹿ですね、君は」呆れたような声。だけど、その中に彼の優しさがあって、私はこのままドアをあけてしまいたくなった。
しかし、なんとかその気持ちをおさえて私は伸ばした手をひっこめる。あけては駄目だ。開けたらきっと、私は骸さんが言おうとしたようにあの場所に帰りたいと思ってしまう。


「君がどうしてここにいるのかなんて分かってますよ」

「な、んで」

「君が考えることぐらい分かるんですよ。まったく、本当に愚か、ですねぇ」


愚かで、馬鹿で、と私を罵る言葉に私は何も言い返すことはしなかった。いや、できなかったんだ。すべて、骸さんの言うことに間違いはなくて、私は骸さんの言うように馬鹿な人間なのだ。
自分を犠牲にすることでしか彼らを守れないと思うような、馬鹿なんだ。



「貴方は自分を犠牲にしてまで、ミルフィオーレと選ぶなんて。」

「……ごめんなさい」


ただ私には謝ることしかできなかった。何回も、ごめんなさい、と繰り返して紡ぐ。向こうから僅かに「謝るのなら始めからしなければ良いじゃないですか」と苛立ったような声が聞こえた。


「だけど、こうすることしか私に出来なかったんです」


そう、私にはこうするしかできなかった。白蘭の甘い言葉に私はまんまとのったのだ。後悔していないと言ったら嘘になるかもしれない。

それでもこれで貴方達を守れるのならそれで良かったんです。と言えば、骸さんがドアを思いっきり叩いた。私は思わず、驚き顔を上げて目の前のドアを見る。「骸さ、」と言い、そこまでで言葉は止まる。



「僕が……僕らが本当にそれを望んでいたと思っているんですか!」



今まで聞いたことのないような悲痛な骸さんの叫び声に私は一筋の涙を流した。骸さんはそれだけを言うと、「僕は僕なりに、動かせてもらいますよ」と静かに言ってその場を立ち去った。誰もいなくなったドアの向こうに向かって私は「ごめんなさい」ともう一度呟いていた。
もしかしたら、私は浅はかだったのかもしれない。骸さんの悲痛な声は、何度も何度も私の心で繰り返され、そのたびに、ズキズキと心が痛んだ。



何が正しかったのか




(でもどんなに願っても、あの場所に戻れはしない)








(2008・08・02)