がんがんと響く痛みを我慢して、体育館の中へと足を踏み入れる。せめてもの救いは今日の体育が晴れわたり日光の照りつけるグランドではなく、体育館だったことだけ。
これで外だったりしたら、確実に死ねる自信がある。


(むしろ……すでに死にそうだけどね)


はは、と自嘲染みた笑みが浮かぶ。普段は体育も嫌いじゃないんだけど、この体調では私に死ねと言っているようなものだ。

それに、周りにそれを気付かせないようにしなければいけないと思うとさらに気をつかってしまう。自嘲染みた笑みを作ったまま隣であるくりりんを見やる。いつものようにジャージを着たりりんがやる気なさそうにため息をはいていた。
文系にこんなことさせるんじゃないわよ、と忌々しそうに言うりりんに思わず苦笑いがうかべれば「笑ってるんじゃないわよ」と睨まれる。



え、ちょ、理不尽すぎじゃない?



私がそんな事言ったら絶対に清清しいほどの笑みをうかべて「残念ねぇ」なんていってそうなのに、私が笑ったらこの仕打ちって今まで何回もりりんとは友人だと言い聞かせていたが本当にそうなんだろうか。

……いやいや、ちょっと体調不良って弱ってるからってネガティブになりすぎたらだめだ。


こんなりりんの態度なんていつものことだし、いつもはあんまり気にしないじゃないか。体調が悪いせいか悪いほう、悪いほうに考えてしまっていてはもっと体調だって悪くなってしまう。
それに、こんなのりりんの毒舌なんていつもに比べたら可愛いものじゃないか。

いつもならもっと罵倒されているに違いない。これだけですんで良かったじゃないか、ふふ、あは、は……こんなことでしか自分を慰められない自分が嫌だ。



あまりに自分があわれに思えてひっそり、心の中で泣いた。



体育館の中にいるというのに、少しだけ感じた寒気にジャージの袖をのばして手を覆う。時間がたつにつれてどんどん体調が悪くなってるような気がするがなるべく、表には出さないようにする。
日吉にはちょっとバレているようだけど他の人にまで心配をかけたくない。


そう思っていつものように「酷いなぁ」と言ってりりんに微笑み返した。しかし、返ってきたのはいつもの澄ました返事ではなく般若のような表情だった。こ、怖いんですけどー!
りりんのような美人さんが睨んだら怖いって今まで何回も言ってきたつもりだが、そんなこと今のりりんにはいえそうにない。

はっきりいって、怖すぎるくらい怖い表情に私の額を冷や汗が伝った。



「私が言いたいのは無理して笑うんじゃないってことよ」

「は?」



呆けた声がでれば、ますますりりんの眉根がよった。瞬時に土下座したい気持ちになった私は決して臆病者とかではない。
この顔を見たら誰だって土下座してさっさと謝らなければと思うはずだ。そのぐらい今のりりんには普段他の人に向けている表情のかけらも残っておらず、迫力さえあった。

これからりりんに逆らうのは極力自分の命がかかわったときとかだけにしよう。

今までだってそうしてはきたけど、改めてりりんの怖さを思い知り私は心の奥で決めた。こちらを射殺すかのような視線は、思わず肩がはねるくらいに恐ろしくてたまらないし、いつもより僅かに声も低い。そんなりりんに逆らえるほどの元気は今の私には到底ない。



「だから、体調悪いんでしょう?」
「え?!いや、そんなこと」

「あるわ」



きっぱりと言い切る。まさか日吉ならずりりんにまで気づいていたとは。心配をかけたくないと思っていたのに、自分が気付かなかっただけで心配をかけていたなんて思うと悲しくなって、涙線が緩む。
泣くな、と思えは思うほど目の前がうるんできたような気さえして、私はうつむいた。

自分の足先をみつめていれば、上からため息が一つ聞こえてきた。


「まったく、何年あんたと親友やってると思ってるのよ。気付かないわけがないでしょう?」


親友。普段真剣にその言葉を使うことのないりりんがはっきりと告げたその言葉に、私はゆっくりと顔をあげた。先ほどまでの威圧感もなく、眉をよせて笑っている。



「本当には馬鹿ね」
「…ごめん」

「ったく、なんで謝るのよ」



りりんが、再び一つ溜息をこぼし、額に手をやりながらいう。呆れたような目でこちらを見たと思えば、優しく微笑むその姿は失礼だがいつものりりんとは思えないようなしぐさだ。
りりん、そんな顔で笑えたんだね、なんて口に出した瞬間殴られることはないとおもうがナイフのような言葉を投げつけられるような気がしてならないので心の中だけにしまっておくことにした。



「それに、気づかなかったら気付かなかったで私が私を許せないわよ。」



もう一度馬鹿ね、と言うと近くにいた日吉をりりんは呼んだ。
今日の体育は珍しく同じ体育館で男女ともバスケ。男子の輪の中にいた日吉がこちらに気づくと、眉を寄せながら男子に断わりをいれてこちらへと走り寄ってきた。


「どうかしたか?」

「ちょっと、この子保健室に連れていってやってくれる?」

「いや」



保健室なんて行かなくて大丈夫なんですけど、そう紡ぐはずだった言葉は私の口からでることはなかった。
りりんだけならまだしも、日吉からも睨まれて、ただでさえ一人一人でも怖いって言うのに二人そろって睨まれたら私が反論することなんできやしない。

普段りりんが可愛いと言っている男子をこの場に呼びつけて今の表情を見せつけてやりたい。絶対に100年の恋も一気に醒めるか、Mなほうへの才能が開くか、二つにどちらかだと思う。多分、Mなほうへの才能が開く人たちのほうが多いような気がしてならないのが残念なかぎりだけど。

そして、そんな二人相手にただただ私は視線をそらすことしかできなかった。あんな視線を二人分も一分以上見ていたら絶対に石にされてしまう。もちろん私がMなほうへの才能が開花することなんて絶対にありえないことだ。


「まぁ、日吉には拒否権なんて最初からないんだけどねぇ。こっちは私がうまくやっておくわ。」
「あぁ、わかった……やっぱりか」


りりんへと返事をすると、こちらへと視線をやり小さい声で日吉が呟く。その言葉は聞こえなかったが私と目が合うと「行くぞ」と一言声をかけてきた。



「……保健室くらい、一人で」

「途中で倒れられたりしたら私の気分が悪いのよ。私の」



思いっきり私のを強調して言われると、あ、そうですよねーとしか言えなくて、りりんに先生へと伝言を頼んで私と日吉は体育館から出て行く。
隣を歩く日吉は気分の悪いせいか普段よりも足取りの遅い私に歩調を合わせてくれていて、申し訳ない気持ちになった。

保健室につれていってもらうことだけでも、迷惑かけていると思っているのにこんなところでまで迷惑をかけてしまうとは。
自分の不甲斐なさにため息さえこぼれてしまいそうだ。


……というか、実際に零してしまっていたらしい。
足をとめた日吉が私のほうへと振り返る。思わず目を丸くして見つめてしまったが日吉の言葉を聞いた瞬間に、やってしまった、と眉をよせた。


「溜息なんて零して本当に大丈夫か?」
「……」


もう引きつった笑みしか出てこずに、それでも笑みをつくりながら大丈夫、と言葉をかけた。本気で自分で自分が情けなく思えてしまう。


「本当に大丈夫じゃない時に大丈夫なんて嘘は吐くな」
「日吉?」

「そんな嘘を甘受するほど、俺は甘くない」

ったく、という言葉を吐くと、日吉は再び前を向き歩き始める。私はそれを早足でおってから、日吉の隣へと並ぶ。

「あ、うん」

日吉の歩調は先ほどと少しも変わらず、ゆっくりとした足取りのままだ。





"大丈夫"


あの時から何回も吐いてきた嘘。だから、この嘘は誰にも絶対にバレることはないとおもっていたのに。

日吉はそんな私の嘘をいともたやすく見破ってしまった。りりんだってそうだ。



何年も積み重ねてきた嘘。その言葉が嘘じゃないときだってあった。だけど、きっと、嘘だった数のほうが多い。

大丈夫だと言いながらも体の調子が悪かったり。大丈夫だと言いながらも、心が傷ついていたり。数えきれないくらい、大丈夫だと言いながらその裏腹ではちょっとずつ傷が増えていった。

むしろ、自分に言い聞かせていた、というほうが正しいのかもしれない。


大丈夫。
体調が悪いのなんて自分の思い違い

大丈夫。
全然、気にしてなんか、傷ついてなんかいない。


そこまで自分は弱くない、と何回も言い聞かせてきた嘘。

あの時までは、こんな嘘を吐くことはなかった。でも、あの時から吐くようになった嘘。
こちらを心配そうに見つめるあの表情。思いだせば今でもはっきりと思いだすことができる。大丈夫、大丈夫だから、そんな顔をしないで。そんな表情をしないで、と何回も言った。
でもその度に泣きそうな表情をするものだから、もっと上手に嘘を吐けるようにならなければいけない、と心に決めた。




だから、大丈夫と伝えて笑ってくれたその顔の裏で君がもっとつらそうな顔をしているなんて私はきづくことがなかったんだ。




保健室の扉を音をたてて、開ければ優しそうな女の先生が迎えてくれた。ベッドの使用許可をもらい、陽の匂いのするベッドに入りこむ。横になり見上げれば、日吉がこちらを覗き込むかのように上から見下ろしていた。
どこから見ても美形というのは美形なんだ、と場違いに思わず感心してしまった。


「じゃあ、ちゃんと寝ておけよ」
「おー、」

「…やる気のない返事だな」


ベッドに横になった私に、日吉が言い聞かせている姿はまるでお母さんみたいだ。もちろん、そんなことは口にしないけど。サラリ、と窓から入ってきた風が私の髪の毛をなびかせる。
その髪の毛にそっと日吉は触れると、「まぁ、そのほうがいつものお前らしい」とだけのこして保健室から出て行った。

心地の良い風。頭の痛みはまだあったけれど、いつの間にか段々と意識が沈んでいくのがわかる。


大丈夫


いつものように心の中で唱える。なのに、一向に心の傷はいえそうになくて、ただただ悲しみだけがこみあげてきた。ほんの僅かに滲んできた一筋の涙は頬を伝い、白いベッドの上へと吸い込まれていった。


 →






(2009・06・11)
感想が原動力になります!→ 拍手