おかあさまも、おとうさまも、可愛がっていた犬もすべてが私の目の前から消えてしまった。つい数時間前まではみんな私の前で笑顔で、笑ってくれていたのに、今の私の目の前は何も見えない闇ばかり。だけど音だけはしっかりと耳に届き、その音が響くたびに私の鼓動ははねる。
聞こえてくる声は、今まで聞いたことのある声とは全然違い温かみのない声だけ。
優しく私の名前を呼んでくれていたあの人たちの声は、何一つ聞こえてこない。

毎日、私がおいしいと言う度に嬉しそうに微笑んで「ありがとうございます、」と言ってくれたシェフの声も、時には厳しいこともあるけれど私にはとびきり甘い執事の声も、一緒にたくさんおしゃべりしてくれたメイドの声も、何一つ今の私には届かない。
なんで?どうして?
何が起こったのか未だに理解できない私はただこの暗闇のなかで体を小さくすることしかできなくて、小さく丸めた体が震えから解放されることはない。
涙がでそうになるのを必死にこらえながら、私をここへと連れて来た時のおかあさまの言葉を思い出す。
「絶対に声を出したら駄目よ、」おかあさまが眉をよせて泣きそうになりながら私に紡いだ言葉。あんな表情を見せるおかあさまを見たのは初めてだった。
だから、だから、絶対に泣いちゃだめだ。

でも、そうは分かっているのに聞こえてくる声や音に耐えきれず私は一筋の涙を流してしまった。


おかあさま、おとうさま。早く私を迎えに来て。とても怖くて、怖くてたまらないんです。


でも、そんな私の声は届かないでおとうさまもおかあさまもいつまで経っても迎えに来てくれることはなかった。おかあさまとおとうさまだけじゃない。私のところへは誰一人として来てくれない。
ガタガタと音が響く。爆音や銃声、今まで私とは無縁だった音が屋敷内に響き渡り、そして、その音はいつしかなくなっていた。
何分、何時間たったのかは分からないけれど、音がなくなったことを確かめて私はやっと闇の中から抜け出す。

だけど、私が飛び込んだ世界もまた、闇の世界と変わらないような場所だった。

ツンと鼻に突き刺さるような匂いは鉄の匂い。以前、シェフが料理しているときに手伝おうとして包丁で手を切ってしまったときもこんな香りが僅かにした。あの時は泣き出す私にシェフとメイドは焦りながら、執事は困ったような表情をしながら「泣かないでください、さま」と言ってくれた。
だから私は泣くのをやめて、痛くないよ、と笑ったんだ。私よりも彼らのほうが痛そうな表情をしていたから。


でも、今はその時なんかとは比べようがないくらいにむせかえりそうなくらいに濃い鉄の香りがする。一体どこからこんな匂いが、と思ったけれどすぐにその答えは分かった。

目の前に広がる惨劇の場。


「あ…、あっ」


目を見開いて言葉を失った私は数歩後ろへと下がる。口元を急いで覆いこみ上げてくる吐き気を押さえて、床に膝をついた。おかあさまも、おとうさまも、可愛がっていた犬もすべて私の目の前で横たわっている。
そしてその回りは、血の海と言っても良いくらいの大量の血が辺りを埋め尽くしている。

これは現実?

まるで死んでいるかのようにも見えるおかあさまと、おとうさまは。先ほどまでおかあさまも、おとうさまも、私に笑いかけてくれていたのに、こんなの絶対に嘘だ。死んでるわけないに決まっている。
ふらふらと足取りがおぼつかないまま、眠っているかのようにもみえるおかあさまとおとうさまへと近づいていく。歩くたびにピチャピチャと音がして、その度に床の血がはねた。
真っ白な靴も、真っ赤な色へと染め上がっていく。


「おかあさま?おとうさま?」


二人の名前を呼んでも、二人が私の声に返事をくれることはない。今まで、たった一回呼んだだけでもいつも満面な笑みをむけて私の名前を呼んでくれていたにも関わらず、二人は私が何回名前を呼んでも、何も反応してはくれなかった。やっとのことで二人のもとへとたどり着き、私は二人の前に膝をついて二人の顔を覗き込む。
目を閉じたその姿は、いつもと変わりがないのにその顔色からは血の気がなかった。

確かめるように二人の頬へと手を伸ばして触れる。暖かい二人。その暖かさでいつも私を包み込んでくれていた。なのに、暖かいと思っていた二人の体温は今じゃ冷たくなっていて、触れた先はまるで氷のように冷たい。


やだ、やだと子供のように首を横に振る。死なないで、私だけを残していかないで。
握りしめた二人の手に縋りつき、真っ白な服までも真っ赤に汚す。大好きで、大好きで、大切な人たち。声にならない声が口からはでて、瞳からは流れ出す涙がとまらない。

いなくならないで。

もう彼らがこの世にはいないということは分かっているのに、私は何回も願わずにはいられなかった。


屋敷からあふれていた優しい声がすべて消えてしまった。なのに、どうして私はここにいるの?問うても答えは一向に出てこずに動かなくなった二人の体を抱きしめる。
助けて欲しい。でも、誰にそんなこと言えば良いのだろう。誰に言ったら、私は救われるんだろう。
分からないまま、私はただそこの場所でじっとする。だって、他に何をすれば良いのか私には分からなかった。それに、おかあさまとおとうさまから離れるなんてこと、できない。

ガタリ、と音が響き私はその音をした場所を振り返った。扉を開けて、驚いた表情でこちらを見ている人は影になっていて、誰かなんてことが特定できない。

「誰…?」

できることなら私の大好きな人たちの誰かなら良いのにとは思いつつも、この惨劇を生み出した人でも私は別に良かった。この惨劇を生み出した人ならば私も一緒におかあさまとおとうさまがいるであろう場所に行くことができる。


死ぬことは怖いけれど、ここで一人でいるよりはずっと、私にとって怖いことではない。


だけど、扉をあけた人物はただ私を見た瞬間に安心したかのように息を吐いた。こちらへと近寄ってきて、その人物が段々と見えてくるけれど、その人物に私は見覚えがない。

そして私の目の前まできてやっとその人は、腰をおろして私をまっすぐに見つめ口を開いた。


「よく、頑張ったね」


ずっと流していた涙が先ほどよりも込み上げる。枯れることのない涙を彼は手をのばして、ぬぐってくれる。この人は誰。とか、どうしてここに。とか気になることはたくさんあるのに彼の表情があまりに優しくて私はいつの間にか彼の首に手を回していた。彼はいきなり抱きついてきた私に何も言わずにただただ優しく背中を叩いてくれる。

そして、暖かい声色で
、」と名前を呼んでくれた。

それが嬉しくてたまらずに、私は彼の首に回していた手をといて、座りこんだままに彼のスーツをつかんだ。離れてほしくない。離したくない。
そんな私の気持ちに気づいたのかは分からないけれど、彼はゆっくりと笑みを作り言葉を紡いだ。



「…ねぇ、俺と一緒に来る?」



そう言ってくれた彼のスーツを先ほど以上よりもギュッと握りしめる。きっと皺になってしまうだろうに、目の前の彼は何も言わずにスーツを掴む私の手の上から右手を重ね、左手で私の頭をなでてくれた。
暖かい彼に縋るように、そして彼もまた私の体をゆっくりと抱き寄せてくれる。あまりにも近い距離にさっきまでは分からなかった香りも、心地よい。私を落ち着かせるかのように何度も私の名前を呼んでくれる人に、「はい」と、耳と澄まさなければ聞こえないような声で呟いていた。











きっと、この人でなければ私は手を伸ばすことなんてできなかった。でも、この人だから私は手を伸ばすことができた。伸ばした手を暖かく包んでくれた手。私の手にはめられた指輪を愛おしそうになぞる綱吉さんに、私は眼を細めた。
暖かい手は出会った当初と、今でも変わることがなく私の大好きな手。もちろん大好きなのは手だけじゃない。


「綱吉さん、大好きです」


何度口にしたのか分からない言葉を伝えれば、私の大好きな顔で笑ってくれる綱吉さん。綱吉さんは私にたくさんのものを与えてくれるのに、何も返すことのな気ない自分に嫌になることも、泣きたくなることもある。
それでも、私はこの人を好きなことをやめることはできないんだろう。溢れんばかりの気持ちを受け止めてくる綱吉さんに、私はそっと触れるだけの口付けをすれば綱吉さんは目を丸くして驚いた表情をつくった。だけど、それも一瞬のことで綱吉さんは本当に嬉しそうに笑ってくれ「俺もだよ」と、まるでお返しと言わんばかりに私の頬に唇を落とした。






さらって下さい、王子様




(その手をとって、今すぐにでも口付けを)







(2009・04・24)

我慢を知らない乃紀のターン!!(うぜえぇぇぇ)甘い小説が書きたかったはずなのに…!全然甘くならなかったという、罠。とりあえず綱吉と初めて会った時のお話です。あまりにも義さまが描いてくださったイラストが素敵すぎて我慢できませんでした。そして義さまのバトンの回答にも我慢できなかったです(笑)(笑えないよ)
勝手にこんなものお書きしてすみませんでしたぁぁ!苦情は義さまからのみ受け付けております(平伏


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