急な上司の呼び出しに、イタリアの街を僕は走った。
何故、僕があの上司の我侭に振り回されなければならないのだろうか。その疑問はいつも僕の胸の中にある。
僕は確かに気弱な性格であった。以前は母や、姉を頼りにしているような子供であった。だが、今は違うはずである。なのに、気弱な所は治ったはずなのに、僕はあの上司に逆らうことはできない。少しだけズキズキと痛む腹は、あの上司と出会ってから日常茶飯事なことになってしまった気がする。
それに、あの上司は僕で遊んでいるから尚更性質が悪い。どうせ、僕がイタリアの街を全速力で走りながら、なおかつ腹が痛くて苦しんでいることを知りながら、今頃あの部屋でマシュマロを持って笑っていることなんだろう(本当、最低な上司だ・・・・!)
多くの人でにぎやかなイタリアの街。
きっと、ここにいるほとんどの人たちはイタリア人なんだろう。その中で、日本人は何人いるんだろうか。走りながら、ふと通り過ぎていく人たちを見てそんな事を考えていた。
まったく、この中でこう走っていく僕を見て、マフィアだと気付く人がいるだろうか。誰一人気付くわけはないだろう。腹に手をあてながら走り去っていく日本人がまさか、マフィアだなんて、きっと、誰一人きづくわけがない。
「ギャッ・・!」
「うわ!」
考え事なんてしながら走るのではなかったと今さらながら後悔した。
目の前から来た女と勢いよくぶつかってしまった。その拍子に、眼鏡がどこかにいってしまったらしく、僕の視界は一気にぼやけた。「す、すみません!」聞こえてきた声と同時に渡された眼鏡をかける。視界がはっきりとすれば、目の前にはとても、イタリア人には見えない女が頭を下げながらこちらを見ていた。
「すいません、すいません!!余所見をしてたもんで・・・・・って、ここイタリアー!日本語で謝っても意味ないじゃん!」
あたふたする目の前の女はどうやら、日本人らしい。確かに、顔つきは日本人である。観光で、イタリア旅行にでも来たんだろうか。
「ああぁぁ、えっと、こんな時って・・・・・・「別に大丈夫だけど、」」
焦る女に声をかける。その瞬間に女は目を見開き驚いた様子で僕を見た。そんなに、このイタリアの街に日本人がいることが珍しかったのか「も、もしかして、日本人の方でしたか?」と聞いてきた女にゆっくりと頷く。本当なら、こんな事している暇なんてない。
僕は早くこの、自分の手にある書類を白蘭さんに届けなければならない。
「うわー、まさか、こんなところで日本人に会えるとは!」
の、だけど、目の前で嬉しそうに笑った彼女の顔が久しぶりに見た本当の笑顔で、僕の足は止まった。
白蘭さんの笑顔は腹のうちで何を考えているのか分からないような笑顔で、あんなもの本当の笑顔と言えたものじゃない。それに、こんな仕事をするようになってから僕が本当に笑うという表情になることはすくなくなった。いつも、僕は、しかめっ面をしている、らしい(これは白蘭サンに言われたことだ。そんな顔にさせるのはあんただ、と言ってやりたかった)
まぁ、だけど、こんな仕事をして、ヘラヘラと笑っているのも可笑しな話だろう。そんな、笑ってできるような仕事じゃない。僕の仕事というのは、そういう仕事だ。そんな笑って仕事をこなせるほど、僕が今いる世界は甘くない。白蘭サンの笑顔の笑顔はただの飾り、だ。
「って、あ、すみません!一人で盛り上がって!!いや、本当にそれも、こんなまともそうな人に出会えるとは・・・・!」
「(まともそうな、人ってどういう意味なんだ?!)」
変な女、それが彼女の第一印象だといっても過言ではないだろう。本当にどこにでもいそうな女。だけど、それが僕のいる世界では珍しい女だった。僕の世界ではこんな女一人もいない。笑う時も嫌な笑い。上司の命令に忠実でクスリと少しも笑いもしない部下。どの女もマフィアの世界では当たり前の女だ。だから、目の前にいる彼女は僕の世界では本当に珍しい、平凡な女だった。少しだけ湧き上がるこの感情は、何か。きっと、これはこの彼女ともっと話してみたいと言う好奇の感情なんだろう。僕は、一体、この目の前の平凡な彼女に何を求めているんだ?今、会ったばかりの女に。
「あっ、私、って言うんです!眼鏡に何か異常があった時は、この番号に連絡してください」
一枚のメモ紙にスラスラと番号がかかれ、それが僕のほうに差し出される。僕はそれを受け取った。普段ならきっと受け取らないんじゃないだろうか、と頭の隅で考えながらも僕はいつの間にかそのメモ紙を受け取っていた。
別に理由なんてものはない。ただ、目の前の女に興味が湧いたから「僕は、入江正一」別に覚えなくても良いけど、と言う言葉は飲み込んだ。だけど、僕は自分の名前を言ってからハッとした。僕はどんなに見えなくてもマフィアにこしたことはなくて、それなのに、見ず知らずの女にこんな簡単に自分の名前を告げるなんて、なんと愚かな人間なんだろうか。でも、どうせ、目の前の女はすぐに僕の名前なんて忘れる。だったら、別に、言っても言わなくても変わらない。何も。
「入江くんですね!眼鏡が壊れてた時は絶対に連絡して下さいよ!」
「……、分かった、さん」
「あ、別に名前で呼んでもらって良いですよ。なんか、最近名前でしか呼ばれてないんで名字で呼ばれるとむず痒いですから」
「(む、むず痒い・・・・?)じゃあ、で、」
「あー、やっぱりまともな人っているもんだなー……って、あーもうこんな時間!あ、あ、あの人に殺される!」
誰か友達と約束でもしていたんだろう。は時計を見ると一気に顔を蒼白にして焦っているようだった(殺されるなんてまったく、大げさな)そして、自分もあることに気付く。そういえば、僕も白蘭サンのところまで書類を届けている最中だったと。あぁ、何やってんだ、僕は!またあの上司に嫌味を言われてしまう!僕ものように今、顔が蒼白になっていることだと思う。またに会って、腹が痛くなくなっていたはずなのに、ズキズキと少しずつ痛み出していた。
「えっと、本当眼鏡壊れてたら連絡下さいね!じゃあ、また入江くん!」
そう言って、は踵を返して走り出していた。あの焦りの表情。自分と似たようなものを感じたのは何故、だろうか。あの人、というのはもしかしたら白蘭サンのような人のことかもしれない。とふと、そう思ってしまう。僕はいつの間にか、自分が僅かに微笑んでいた事に気がついた。不思議な女、と言うわけじゃない。ただ、平凡な女。それが、今の僕には少し心地の良い存在だった。握り締めたの電話番号の書いているメモ紙を僕は無造作にポケットへと入れる。また、と言った彼女。まるで僕が彼女に連絡をすること前提じゃないか。また、なんてあるわけがない。
僕は、マフィアで、彼女は普通の一般人。そんな彼女を僕は巻き込むわけにはいかないし、巻き込むつもりはない。それに、どうせ、彼女のことなんてすぐに忘れてしまうに決まっている。
僕は彼女の後ろ姿を見届け、走り出した。イタリアの街を駆け抜ける男女。その双方の目的地は違う。ましてや、目的なんてもっと違う。イタリア人の間を走りながら先ほどの自分が考えていた事を思い出した。
"きっと、ここにいるほとんどの人たちはイタリア人なんだろう。その中で、日本人は何人いるんだろうか"
確かにここはイタリアの地であり、イタリア人が多い事に変わりはない。
だが、きっと、光の当たらない裏の世界でなら、多くの日本人がイタリアにいるのではないだろうか。先日、白蘭さんに調べさせられたボンゴレのボスも、守護者と言われるやつらも、ほとんどが日本人だった。それに、日本人を話すマフィアも多いと聞く(現に白蘭さんは僕と会話するときは日本語だ)
あぁぁぁ、って言うか後5分で白蘭サンとの約束の時間じゃないか!この書類を持っていくのが遅れたりしたら、また笑顔で白蘭さんに嫌味を言われるんだろう。その事を考えるだけで、僕の腹はキリキリとまた痛み出した。
は、どんな目的でイタリアと言う街にいたんだろう。彼女は、僕とは違い、表の世界を生きる人間に違いない。
あんな何も考えてなさそうな、普通の女がマフィアなわけがない。
もう会うことなんて、二度とないだろう。そう思いながら僕は、白蘭サンがいるであろう、場所に急いだ。
***
「すごいね、正チャン。まさか、間に合うなんて思わなかったよ」
目の前で微笑む白蘭サンに殺意が湧いたのは仕方がないことだと思う。これは、誰であっても、殺意がわくに決まっている。全国、いや、全世界の悩める部下に僕は救済の手を差し伸べたい気持ちになった。部下は、上司を選べない。なんて、不条理な世の中なんだろう。そう思うとまた、腹がキリッと痛んだ気がした。
この上司のせいで、僕は長生きができないんじゃないかと、最近よく思う。それに反して、目の前の男は長生きするだろう。誰かに、殺されない限り、は。
しかし、この白蘭サンが今からしようとしていることは、殺るか殺られるかの、大仕事。まぁ、白蘭サンはこんな性格だし、強い。死ぬのは大分先のことだろう。
日本には、憎まれっ子世にはばかると言うことわざもある。白蘭サンほど憎まれっ子な人もいないだろう。だから、と言うわけではないけれど、彼はきっと死なない。目的を達成するまでは。もちろん僕だって死ぬわけにはいかないんだ。
「それで、僕にもって来させたその書類はなんなんですか」
「あぁ、これ?」
僕は今日、必死にここまでもってきた書類の中身を知らない。渡された書類を見て、僕は固まった
「実は、ボンゴレの幹部には女の子がいるらしいって聞いてね。ボスや守護者のことを調べるのにそう時間はかからなかったけど、この子に関する情報がやっと見つかったんだ」
微笑んでいう白蘭サンは本当に嬉しそうだった。書類の写真を見る。何とも平凡そうな、本当にあのボンゴレの幹部であるのかも疑ってしまいそうな女。
そして、紛れもなく、その女は先ほど僕が、ぶつかった、、本人であった。まさか、あの女がマフィア。それも自分の敵である女なんて誰が予測できただろうか。僕は、ただ呆然と白蘭サンにバレないように驚きを隠す事しかできない。
この女と会った、と上司である白蘭サンに本当は言わないといけなかったのかもしれない。だが、僕は何故か白蘭サンにその事を伝えることはできなかった。
白蘭サンの部屋を出た後、僕は誰にも何も言うことなく、ポケットに入っていた一枚のメモ紙を燃やした。僕は何も知らない。彼女の連絡先を知っている、というのはミルフィオーレとってとても有益になる情報。だけど、僕は何も知らないふりをした。、なんて知らない。僕は再び痛み出した腹をどうすることもできずに、その場に座り込んだ。
必然と言う名の、偶然
それとも偶然と言う名の、必然なのか
(もしかしたらただの神様の悪戯だったのかもしれない)
(2008・03・19)
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