「……海だ」

「海だな」


呆然とする私達の目の前に広がるのは真っ青な綺麗な色の海。そして雲ひとつない、真っ青な空。思わず息をのみ、ひと一人いない砂浜に日吉と珍しく二人っきりで佇んだ。あまりにも普段目にすることがない綺麗な景色に目を奪われるような気がした。


……けれど、今の私と日吉の間には甘い空気なんて欠片も漂っていない。


乱れに乱れていた呼吸も正常に近づき(先ほどは呼吸としては可笑しなくらいひぃひぃ言っていた)、酷使した足もやっとまともに歩けるくらいには回復してきた。
そしてまともに出来るようになった呼吸のおかげが、やっと頭が回ってくる。



何故私達はこんなところにいるんだろうか、と。

行き着いた答えに、またか、と頭が痛くなるのを感じれば、隣に立つ日吉も同じ事を考えていたんだろう。頭に手をやり、ハァと一つため息を零した。私もそれにつられるかのように、ため息を一つ。
穏やかな海の音が聞こえてくるが、全然心は穏やかにはなってくれない。それどころか、いつ見つかるのだろうかと思うと、また早鐘をうつかのように心音が激しく音を立ててしまいそうだ。


本当になんで私達はこんなところにいるんだろう。

氷帝からは電車で30分以上かかるこんなところに、私と日吉は二人っきりで、それも逃げるかのようにここまで来ていた。はっきりいって、ここまで来たくてきたわけじゃない。あの人たちから、逃げるために走りつづけ、私と日吉はいつの間にかここにたどり着いていた。
ちゃんと道はおぼえながら来たから帰れないこともないけれど、先ほどのことを考えるとまだ帰ることはできないだろう。


夏の暑い日差しを直に浴びながら、例えでもなく焼けていく感覚がするジリジリとこげていく、肌。
当初の予定ではこんなところに来る予定なんてまったくなかったから、日焼けよけなんてもちろん塗っているはずもない。今年初めての海に、こんな形で来たくはなかったと再びため息を一つ零した。

しかし、どんなに現実逃避をしたくても、できるわけもなく私はその場にしゃがみこんだ。




まず私達がここにいる理由を説明するには約30分ほど時間を遡らなければならない。




珍しく部活のない休日。少し離れたところに良い本屋を見つけたと日吉から聞いたのはこの前のことで、やることのなかった私は日吉から教えてもらっていた地図を頼りにその場所へと足を運んだ。その場所は少し入り組んだ場所にあったのだけど日吉の説明が分かりやすかったおかげかすぐに見つけることができ、私はすぐにその本屋が気に入った。

見たいと前々から思っていながらも見つけられなかった本の数々。

私が気に入らないはずがない。しかしながら場所は学校からは結構遠く早々来れる場所ではない本屋に直ぐに帰るのを憚られた私は1時間その本屋で本をじっくりと眺めていた。
そして、そんな時に私の横に音もなく現れたのが日吉である。

このさい音もなく現れたことには追求しないでおく。テニス部には気配を消すのが上手い人が多いし、突然現れるのだってもう日常茶飯事のことだ。一々驚いていては私の心臓が持たない。
私服姿の日吉はやはり世の中では美形と評されるもので、中々のかっこよさだった。

正直、日吉の向こう側に見えた女の子達の視線がとても痛かったのは言うまでもない。



「日吉だー」
「お前も来てたんだな」

「そりゃ、ねぇ。こんな時でしか来れないからね……」


ボソッと呟いた言葉に日吉も同情するかのように目を細めた。

珍しく部活のない休日もテニス部の人たちのせいでつぶれてしまうことは少なくない。今回の休日はあの人からやっと解放された休日であり、日吉もだからこそここまで足を運んだのかもしれない。

まぁここであったのも何かの縁だということで昼食でも一緒にとろうということになった私と日吉が本屋を出た瞬間に、視界に飛び込んだのは立海の人たちだ。
それもテニス部ときた。
何の嫌がらせか、とその時はおもったのだけど私と日吉はそそくさとその場を立ち去り駅へと向かい氷帝のほうへと帰る電車を待っていた。


しかし私と日吉の不幸はとどまらず、駅で見つけた見覚えのある人たち。丸眼鏡をかけた人だとか、無駄にオーラを撒き散らしてる人。そして優雅にほほ笑んでいる人と、その隣でぐったりとしている人。あと、他数名。


「日吉……幻覚が

「幻覚じゃない。事実だ」


私の言葉ははっきりと日吉によって遮られた。どこに行くつもりかはわからないが、私達と反対側の路線にいる彼ら。どうする?どうしようか?と目で会話し、なんとか奴らに気づかれないようにと思ったものの、ものの見事にすぐにバレた。



「あ、ちゃんと日吉おったで!」



この関西似非眼鏡黙れ!!思わず相手が先輩だということを忘れて声を上げそうになったのだけど「チッ、逃げるぞ」と思ったよりも近くで聞こえた日吉の声と、日吉に掴まれた腕によって声をあげることはなかった。
何処へ行くかも分からない着たばかりの電車へと手をひかれ乗り込み、反対側の路線にいたあの人たちが間に合わないことを祈りながらドアが閉まるのを待つ。

すでに反対の路線にあの人たちの姿はなく、たぶんこちらへと走っているんだろう。
電車のドアが閉まった瞬間に私は心の底から歓喜していた。それは日吉も多分同じ気持ちで、日吉もホッと安堵の息を吐いていた。

そうして電車にゆられ、そのまま電車に乗っているのも危険だと思った私たちはついで、とばかりに海へと来ていた。電車を降りてからもあの人たちの脅威にかられて走ったために、まだ少し苦しい。



「大丈夫、か?」

「あー、うん。もう大丈夫」


私の言葉にそうか、と呟きながら私の頬へと手を伸ばした。日吉の手はこんな暑さのなかでも、冷たくて気持ちが良い。


「でも、まだ顔が赤いな」


思ったよりも近くづいた顔に、驚いて一歩後ずさってしまう。しかし、そのせいで地面に置いていた自分の鞄につまずきそうになり、慌てて手を伸ばせば、日吉がいち早く私の手を掴んで支えてくれた。
自分よりも大きな手には固く、テニスでできたのだろうマメにハッとする。

普段はすました顔でテニスをしているように見せて、実はかなり熱い男だということを知っている人は少ないだろう。それを自分が知っている。少しだけ感じた優越感に首をかしげながら「ありがとう」という言葉をかけながら、手を離した。

掴んでいた手は冷たかったくせに、掴まれた手はとてもあつい。



、お前はもう少し落ち着いたほうが良いぞ」

「余計なお世話」



日吉の言葉に私はピシャリ、と言い返す。これでもあのテニス部のファンクラブなんて集団よりも落ち着いている自信がある。それにこの間も近所の奥さまから本当にちゃんは落ち着いてるわね、と言われたばかりだ。
まぁ、比べられた相手が吾郎だから当たり前と言ったら当たり前かもしれない。

「これでも落ち着いているほうだと思うけど」と、零しながら視線を海へとやる。海水浴に来るにはまだ早い季節のせいか、人はまったくいない。しかし、日差しはつよく真夏と言っても良いくらいの天気だ。

冷たそうな海水。鞄の中にはいつも持ち歩いているタオルが入っている。


(……少しくらいなら)


視線を鞄と、海へと交互にやりながら私は靴を脱いで靴下も脱いだ。裸足で踏む砂は熱いくらいで、私は急いで海のほうへと走り寄る。
音をたてて、海水の中へと足を突っ込めば色々な意味で熱くなった体を海水が冷やしてくれた。



「何やってるんだ」



日吉の言葉を聞き流しつつ、んー、と声を出しながら上へと手を伸ばす。少し骨が音をたてたような気がしたかこの際気にしないでおくことにしよう。素足から感じる砂と冷たい水の感触が思ったよりも心地よく、バシャバシャと音をたててもう少しだけ先へと進む。
跳ねた水が服を濡らしたけれど、この天気ならすぐにかわくだろうとあまり気にすることはなかった。

日吉も私の突然の行動に呆れたような表情をしていたけれど、すぐに自分のズボンをまくりあげると私と同じように海の中へと入ってくる。日吉でもやっぱり暑さに勝てないなんてこともあるらしい。


「今度は水着でも持って、泳ぎに来ようか?」
「あぁ、そうだな」


断られるかと思った誘いに意外にも日吉はノリノリ(とまではいかないけど)みたいで返ってきたのは夏の陽ざしにも負けないくらいの、日吉の笑み。

このイケメンめ、と心の中で思わず悪態をつく。だが、二人で来ようものなら日吉は綺麗なおねえさまにでも逆ナンされていそうだ(連れが私って時点で、ねぇ)日吉に限って私を置いたまま遊びにいくようなことはないと思うがその光景が頭に思い浮かんで少しだけムッとしてしまう。
それが顔に出たのか日吉が怪訝そうな表情で私の顔を覗き込んだ。汗が滴るその姿もかっこいいとは恨めしい。思わず出そうになったその言葉は飲みこんでおく。



「どうかしたのか?」

「いやぁ、日吉のことだから逆ナンでもされちゃうんじゃないかなぁって思って」



私の言葉に思いっきり眉をひそめる日吉。「何言ってんだこいつ」と思っているのが手にとるように分かり、私は苦笑をこぼした。
だけど、ただ街を歩いているだけで女の子の眼差しを受けるような日吉と海に来れば間違いなく日吉は女の子に声をかけらることだろう。稀に街でも私がいるにも関わらず声をかけてくるような女の子もいるけれど、海ではもっと開放的な気分になる分、そんな子たちも増えそうだ。


「……そんなことはないだろ」


「日吉、自分の顔鏡で見たことある?」

確かに口を開けば毒舌、可愛げのない後輩だと言われてるような日吉だけど見た目だけは一級品だ。声をかけられないわけがない。


「もし、仮にそんなことがあっても応じないから安心しろ」
「ま、万が一でも日吉がついていくとは思ってないよ。でも、別にタイプの子だったら気を使わなくても良いからね」


あの学校内でテニスコートを囲うメンバーを見る限り日吉のタイプの子を見つけるのは難しそうだと思っての言葉。自分で言った言葉に心の違和感を感じながらも、私は笑みを作り日吉へと向ける。
しかし、私の笑みとは裏腹に日吉の視線は鋭く思わず息をのんでしまう。



(ちょ、こわいから。自分の目つきの悪さくらい把握しておこうよ)



まるで睨まれてるような気分になり私は眼をそらして腰をかがめて、海のなかへと手をつける。波が揺れ、バシャッと立てられた音に顔を上げるよりも早く、いつの間にか近くに来ていた日吉に腕をとられた。


「俺が好きでもない女についていくような愚かな男に見えるか?」
「み、見えないけど」

「それに、俺としてはお前のほうが心配だがな」

「え、なんで?」


私の場合日吉とは違い声をかけられるなんてことはまったくもって考えられない。そんな私のどこが心配なんだろうか。

しかし、そうは思っても真剣な瞳でこちらを見つめてくる日吉に言葉がでない。掴まれた腕は確かに冷えたはずなのに瞬く間に熱を帯びておく。そして、先ほどまで冷たいと感じた日吉の手も、熱く、なっていた。


「さっきも言ったが俺のためにももう少し落ち着いてくれ。」
まるで懇願されるかのような声色。まさか日吉からこんなこと言われるとは思ってなかった私は眼を丸くして日吉を見上げる。


「お前から目を離せなくて困る」


苦笑と共に落とされた言葉に私は、言葉を紡ぐことも、視線をそらすことさえもできずにいた。




晴れの日に落ちた雷鳴








(2009・07・26)
甘くなってます、か……?氷帝R陣から逃げて避暑に来た感じ、というリクエストだったんですが全然避暑な感じがしてませんね(激汗)そして毎回のごとく日吉が捏造・・・・・・すぎてごめんなさい!(土下座)ちょっと日吉研究のたびにでかけてきます・・・OTL

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